私の治療歴【8】~鬱の治療法~②実家編 | アトピーカウンセリング
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私の治療歴【8】~鬱の治療法~②実家編

私の治療歴【8】~鬱の治療法~②実家編

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京都に住む母から
大した用事でもない内容の
電話がきました

誰かから
私がおかしい・・・
と言われての電話か?
たまたまなのか?
定かではありませんが

私と話し
「さくらが変、いつもと違う・・・」
と察知したのでしょう

すぐに
京都から
当時大学生の妹が
派遣されました

「おねえやん
ちょっと京都に帰ろ」

ちゃんと荷造りをして
帰ったのか?
なんて言われて
納得して帰ることになったのか?
記憶がありません

既に
私は壊れていたのでしょうね

妹が来て
一緒に京都に帰った・・・
という記憶しか
ありません

それから
京都の実家にて
毎日
「死にたい、死にたい」と
泣き暮らす日々が
始まります

幸い
父は医師なので
「さくらに頑張れは禁句」と
家族に命令が下りました

最近はご存じの方も
多くなりましたが
鬱の方に
「頑張れ!」は
禁句です!

頑張り過ぎた結果が
「鬱」なので
本人は「死ぬしかない」と
普通に考えます

私は生きてる資格がない
価値がない
不必要な人間だ・・・

どこまでも
自分否定が止まらず

結果
「死にたい」
になります

「死ぬしかない」
「死んでやる~」
じゃないんです

周りの大切な人
世間の皆様にとって
自分は生きる価値なし
迷惑をかけているだけ・・・

それが辛すぎて

もうこれ以上
迷惑をかけたくない・・・

だから私は両親に
「私、これ以上は頑張れへんし
もう死んでいいですか?」と
許可をもらおうとしてました

親より先に死んだらあかん!
これはよく分かってるけど

私はもう無理やねん
だから理解して・・・

私の辛さを理解できれば
死ぬ許可をもらえると思って

普通に考えたら

許可する親がいないことは

分ることですが

本気で説得しようとしてました